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風と青空の街へ
福田隆太郎・39歳

青々とした山並みと目の前に拡がる西海の大自然、私が生まれ育った故郷、佐世保は九州最西端に位置する異国情緒に溢れた温暖な地方都市です。途切れることない爆竹の音に包まれるお盆の精霊流しと米軍基地の花火大会、オランダ伝来のカステラ、長崎中華街発祥のちゃんぽんといった歴史と食文化が見事に融合したこの街を遠く離れ、私は今、家族と共に八戸ニュータウンに暮らしています。 仕事の関係で広島、鹿児島と移り住んでいた私は、十五年前に初めて八戸への転勤の辞令を受け取りました。当時はまだ独身で、八戸には知人も友人も、親戚さえ誰ひとりいませんでした。初めての東北地方での勤務に大きな不安を抱えながら、真冬の八戸駅に降り立った日のことを今でも覚えています。駅の待合室のストーブにあたりながら、周囲のおばさん達の八戸弁の会話が全く理解できないことに呆然とした私は、駅前の商店街で食事でもしようと駅を出ました。そこで目にした閑散とした冬景色に再び強いカルチャーショックを受けた私は、ここから早く転勤しようと決意を固めました。地元の方々には分からないかもしれませんが、九州の冬しか経験していない人間にとって八戸の冬の厳しさは想像以上のものです。スタッドレスタイヤも屋外の一般住宅用灯油タンクもスキー場も、除雪用品なんてものも長崎で見たことはありません。生まれて初めて雪かきをし、凍結路面で転ばない歩き方を実地に学び、車も四輪駆動のものを買いました。そのうち、最初はなかなか溶け込めなかった職場にもだんだんと慣れ、友人もでき、赴任2年半後に八戸の女性と結婚するとは自分自身想像もしていませんでした。その後、神奈川へ転勤となり、長男が生まれて三人家族となった私たちは、交通量の多い国道に面し、ジェット機の騒音が激しい飛行場近郊の官舎に住んでいました。東京や横浜にも近く、お金を出して遊びにいく場所はたくさんある便利な所です。しかし、妻が騒音で体調を崩し、生後間もない長男が喘息気味の咳をするようになってしまい、私は家族の健康を考え、再び八戸への転勤を申し出ました。理解のある上司に恵まれ、四年振りに八戸に転勤となった私は、今度は希望して戻ってきたんだという感慨で一杯でした。妻と長男の健康は目に見えて改善し、私は家族と相談したうえで八戸に自宅を建てることを決断しました。家族の健康をまず第一に考え、自然が豊かで子供を伸び伸びと育てられる住環境を基準として選んだのが、ここ八戸ニュータウンでした。今は小学四年生となった長男は、大好きな犬二匹を連れて遊歩道を散歩し、妻と私は町内会や小学校の役員会活動にも参加するようになりました。私の故郷は遠い九州にあります。でも今の私が帰る場所は、家族が暮らすこの八戸ニュータウンという風と青空の街なのです。


 
 


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